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NEWS

2024.02.29

江坂店にて福井栄一様の取材

2023.12.01

映画『PERFECT DAYS』書籍提供

2023.01.01

江坂本店・天神橋店の営業時間について

2020.02.28

商品状態の表記について

2018.03.30

オリジナルグッズ製作サイトSUZURIに出品しています。

 昭和20年(1945)3月13日、大阪を襲った大空襲により、隆盛時には本店の他に大阪市内に7軒の支店を持つまでになっていた天牛書店は、そのすべてを焼失しました。
しかしその荒廃の中、新一郎は「本が恋しうてしんぼうたまらず」と立ち上がり 翌年の昭和21年(1946)には娘の蔵書数百冊を難波新地の貸店舗で売り始めます。そして道頓堀中座前に本店を移し、ようやく天牛書店は再興の途につきました。 終戦後間もない物不足の時代、街の図書館として再びにぎわい始めた天牛書店は、昭和24年(1949)千日前店を開店、中座前店を娘婿に任せ、新一郎は次女と共に千日前新店舗に力を入れ始めます。
新一郎(道頓堀角座前店)
 新一郎(道頓堀角座前店)

 それから18年後の昭和43年(1968)には道路拡張のために千日前店を道頓堀角座前に移転するなどの変化はあったものの、両店舗には常に人が溢れ、資料を求めに司馬遼太郎氏が訪れる事もあれば、若き日の安藤忠雄氏が「大阪・道頓堀にあった古本屋<天牛>でル・コルビュジエの全集との衝撃的な出会い」(「Casa Brutas 安藤忠雄×旅 総集編」2006・マガジンハウス刊より)を果たすなど、まさに大阪の学生や文化人御用達の古本屋として大いに親しまれるようになっていました。

  道頓堀店
道頓堀店

授賞式
授賞式
当時「週刊文春」誌上で天牛新一郎と対談した永六輔氏に「僕は大阪に来て『天牛』によると、やっと大阪にいるという感じがしてくるのである」(「週刊文春」昭和48年2月26日号より)と述べられるほどの名物店主であった新一郎は、大阪文化の底流を支える上で大きな役割を果たしたこれらの功績を認められ、昭和47年(1972)に大阪産業功労賞を、昭和49年(1974)には大阪文化賞を受賞しました。